オて長びいてはいるけれども、それだって、素子に無断でずるずるのばしにしているのではなかった。ベルネの家へ引越したとき、あらましの予定は伸子から告げてあった。パリには十一月いっぱいぐらい居たいからと。
素子の手紙は、くりかえし伸子の不実をせめた。そして、終りに、わたしは、このごろちょくちょく徹夜して弄花する。これも、二晩つづけて、帰って来て、部屋で書いている。とかかれているのだった。
その晩、伸子は蜂谷良作といっしょに、パリ東南部の労働者地区のあるところで行われた集会へ行って、おそく帰ったところで、白い猿によせかけておかれている素子からの手紙を見つけたのだった。
その夜伸子と蜂谷とが行ったところはセーヌ河の停車場河岸とよばれているあたりだった。倉庫のような建物が並んでいるその界隈は、すれちがう通行人の顔も見定められない暗さだった。掘割の上に板の橋がかけられている、それもそこを通ってゆく足音できき分けられるほど暗いところをぬけると、空倉庫を集会所に直したような建物があって、そこで、パリにいるポーランド人労働者を中心に、ファシズム反対の集会がもたれた。ポーランドのファシスト政府は、十月三十日に、軍隊の力で議会を襲い、議事中止をさせた。翌日それに抗議した社会党主催の大会は解散させられ、社会党代議士と労働者八名が傷を負わされた。社会党の機関紙「労働者《ラボートニク》」は発行停止をうけた。フランスには、ポーランドからの移民労働者が多数働きに来ている。ファシズムに対して労働戦線の統一を努力しているC・G・T・Uは、祖国ポーランド人民の自由を守ろうとする労働者の熱情を統合して、C・G・T・Uのみならず、どんな組合に属している労働者も、どんな政治的立場に立つ労働者も、それにかかわらずその夜のファシズム反対の集会に集るように、よびかけた。
夏のころから、フランスの共産党への弾圧がひどくなっていた。C・G・T・Uが提唱した集会だということから、警官がふみこむかもしれず、また雑多な会衆の間にどんな挑発者がまぎれこんでいるかもしれないというので、会場の空気は緊張していた。何かのつてで、蜂谷良作はその夜の入場券を手にいれた。ピルスーズスキー政府に窒息させられたその年のワルシャワのメーデーの印象は、伸子に忘れられず、四五百人の男たちばかりの会衆にまじるたった一人の外国人の若い女であること
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