tを、伸子はその日の会話の全体のなかへ流しこみ、とかしてしまった。いまも、伸子は、忘れていないそのときの蜂谷の言葉を忘れたように、そうお、と答えたぎりで、歩いているのだった。

 ソヴェト映画の「アジアの嵐」を見おわって、伸子と蜂谷良作が往来へ出たのは、その日の宵も、やがて九時近い時刻だった。
「ああ、おもしろかった!」
 映画館内の空気から解放されると、伸子は、秋の外套をきている体をのばすようにして歩きながら云った。
「面白かったわ。『アジアの嵐』をああいう風にカットしなければ、フランスでは観せられないのねえ。何てお気の毒!」
「フランスは植民地問題じゃ、いつも神経質なんだ。――よく蒙古独立なんか扱ったものを公開したと云えるぐらいだ」
 蜂谷良作が、「アジアの嵐」へ伸子を誘ったのであったが、スクリーンを見てゆくうちに、伸子は、いくども、
「あら。また飛ばしちゃった!」
 並んでかけている蜂谷に注意した。エイゼンシュタインが製作した「アジアの嵐」は、蒙古人民が植民地としての隷属に反抗して、独立のために奮起する物語がテーマだった。「十月《オクチャーブリ》」につぐエイゼンシュタインの代表作と云われていて、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]第一ソヴキノ映画館で伸子がそれを観たとき、彼一流の辛辣な諷刺が、画面をきもちよくひきしめていた。西洋式の寝室の大鏡の前に立って、どこにも美しさのない大柄な老夫人が、小間使にコーセットの紐をしめさせている。鏡の中の自分を見つめながら、もっとかたく、もっと細く、と口やかましく指図しながら。するとそのとなりの室のこれも大鏡の前で、大きい髭をはねあげた老紳士が、侍僕あいてに、だぶつく腹に黒繻子の布を巻きつけて威厳ある容姿をこしらえている。「野蛮な蒙古」のわるくちを云いかわしながら、ダライラマの謁見式に出かけるために、身仕度をしている外国使節夫妻の寝室の情景は、一方、かれらに観せるために準備中のラマの踊りの原始的でありグロテスクである扮装の次第とたくみに対置されていて、観衆は、ヨーロッパの野蛮、について感銘をうけずにいられなかった。
 シャンゼリゼー映画館のふっくりした坐席で、場内のうすら明りに緊張した顔をてらされながらスクリーンを観ている伸子の唇から、
「あ、とばしちゃった!」
 鋭いささやきが洩れたのは、「アジアの嵐」の印象づよいそ
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