、か。この部屋では、伸子に自分のいるだけの空気さえたりない感じがするのだった。
伸子は、新聞をもって、庭へおりて行った。伸子が表玄関のドアから出て、小砂利をしいた庭の小道を奥の方へ歩いてゆくと、反対の方から灰色の大前掛をかけたベルネのお婆さんが、両手に五つばかり梨をもって出て来た。ベルネのお婆さんは、毎朝自分で庭をまわって梨をあつめ、それをガラス張のヴェランダの床へきちんと四列に並べて乾しているのだった。梨はもう四十二個あって、冬の間たべる乾果物《コンポート》がつくられるのだそうだった。伸子とフランシーヌとをつれて最初の庭まわりをしたとき、お婆さんは、ヴェランダに乾してある梨を伸子にみせて、
「マドモアゼル、あなたも、散歩しているとき、落ちている梨を見つけたら、ひろってここへおいて下さい」
と教えた。そして、皺のよった唇を接吻するようにとがらせて、
「それはそれは、おいしい乾果物《コンポート》ですよ」
と云った。色つやのよくないフランシーヌは、いかにもさげすんだように、肩をすくめ、鼻声で、
「とても酸っぱいの」
伸子を横目で見た。
梨の木のあるわきに、コンクリートの壁に、鉄扉がさびついたベルネの庭の裏門があった。よこに石のベンチがおかれている。そこは伸子に気に入りの場所だった。庭のその隅は、玄関や台所の窓々から、また表通りを通る人目からもかくされているのだった。
伸子は気持よい秋の朝の外光のなかで、英字新聞をひろげた。インクの匂いとともに、特大の活字で印刷されている数行が目を奪った。「ウォール街の大恐慌。一千万株市場に投げ出さる※[#感嘆符二つ、1−8−75]」「取引所閉鎖」「一夜に破産したもの数百万。自殺者続出」「モルガン指揮の下により深い恐慌をくいとめるべく大銀行努力中」「ウォール街の恐慌は、世界経済界に甚大な衝撃」――。
伸子の目が見開かれた。あのウォール街《ストリート》。金銭の慾のあぶらと埃で真黒によごされたリンカーンの像が立っている取引所前。まだ満二十歳にもなっていなかった伸子が、第一次世界大戦休戦の日の午後、気のちがったようなニューヨークの大群集にもまれて、カイゼルの藁人形に火がつけられるのを目撃したあのウォール街《ストリート》。あの日、聳え立つ左右の建物の窓という窓から色さまざまの紙きれが投げられ、株式電報のテープの房がウォール街のすべての窓
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