cfルになってくれる人は、誰でもありがたいもんですからね。ところが、彼女、あれで、すっかり背負っちまったね」
クラマールに住んでいる日本人は、蜂谷、柴垣のほかに、もう一組の画家夫妻、フランス農村の研究をしているという吉沢準造などだった。蜂谷は散歩の道すがら、これらの人々の住居の戸口へ立ちよって、新参の伸子をひき合わせた。伸子の気が向いたとき自由に訪ねられるように、と。吉沢準造が部屋をかりている家というのは、クラマールの端れで、庭の小道づたいに裏へまわって行くと、広々とした畑に向って葡萄棚のあるいかにも田舎づくりの二階だった。亀田夫妻は、どこかの裏庭のようなところに建っているかなり大きくて清潔な物置の二階を、画室兼住居にして暮して居り、蜂谷が引きうつった住居は一番電車通りに近くて、サン・トアンの九八番地だった。伸子の下宿のあるサン・クルー街からは、それらのどの住居も五分から十分の距離にちらばっていた。すべての家々と人とがクラマールの生活のなかにはまりこみ、一九二九年の秋のさなかにあるのだった。
十月二十九日のウォール街の恐慌は、クラマールでマダム・ベルネの庭の梨の木の下にいた伸子のところへ、きわめて穏やかな形であらわれた。
朝、八時半にベルネのお婆さんが、
「|お早よう《ボン・ジュール》マドモアゼル」
おきまりの、快活な響をもった声ではあるが、ごく事務的な様子で朝の茶を運んで来た。白いナプキンのしかれた盆の上には、黄色い瀬戸ものの牛乳入れと急須とがのせられている。小さい円いパンのふたかたまり。小皿の少量のジャム。球にした四つのバタ。
あまりひろくないその部屋の大部分を占めて、寝心地のいい大きな寝台がおかれている。その裾の方に、胡桃材《くるみざい》で作った古風な衣裳棚と並んで左の壁まできっちり机がはめこまれている。伸子は、そうすることでその隅に自分を馴らそうとするようにして、窓から景色を眺めながら、その机の上で意識してゆっくりと味のうすい朝の茶をのんだ。蜂谷が二年越し、この部屋に生活したということは、伸子を不思議がらせた。彼はどこに本を置いていたのだろう。炉棚の上だろうか。もしかしたら衣裳棚をつかっていたのかもしれない。壁と衣裳棚とにはさまって、どっちの肱もつかえた感じのこの机で、蜂谷が落付いていられたとすれば、それは彼の仕事が経済学というものだったからだろ
前へ
次へ
全873ページ中622ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング