ゥれていなかった。ここに住んでいたのが学生なら、何の燈で夜をすごして来たのだろう。こわれかかって歪んだ木製の洗面台が片隅にたっている。粗末な鉄の寝台から、どういうわけか布団《マトレス》がはぎとられていて、不潔な床に、つめ藁のはみ出た肱かけ椅子が二つあるきりだった。そこには、まともなものが、なに一つなかった。歪んだもの、こわれかかったもの、そして、恐ろしげな壁があるだけだ。
 そこにはおとといまで、ハンガリア人の学生が住んでいたということだった。不潔というより病菌の巣のような感じだった部屋の光景と、布団《マトレス》をはがされていた鉄寝台の異様な印象は、いつまでも伸子につきまとった。
「それにしても、ああいうのが広告を出すとは、おどろいた」
 パリの生活には少しなれているはずの蜂谷良作もあきれた風だった。
「――おとといまでいたっていうハンガリア人の学生、もしかしたらあすこで死んだのね」
「まさか」
「だって、――じゃ、どうして寝台の布団《マトレス》がはがれているの? ほかに何か思いあたること?」
「そう云われれば、そうかな」
 しかし、いつまでも気持わるがっている伸子にこだわらず、蜂谷は、
「その辺で休みましょう」
 人通りの絶え間ないサン・ミッシェルへ出た。
「きょう、僕は一つ提案があるんだ」
 蜂谷がいまいるクラマールの部屋をかわるから、そのあとへ伸子が来ないか、というのだった。
「あなたはどこへいらっしゃるの?」
「僕は、その家のじき近所で、勉強にはもってこいの室を見つけたんです。画家の未亡人の二階で。そっちの方がずっと勉強するには落ちつける。もっとも部屋そのものは粗末だが、かえって僕にはいいんだ」
 伸子は、きくような眼で蜂谷をみた。いつから蜂谷は引越すことを考えたのだろう。この間うち伸子の部屋さがしがはじまったとき、あちこち歩いたり、あれこれ喋ったのに、そんな話はひとこともされなかった。
「――ちっともお話に出なかったのね。急にそういうことになったの?」
「そうじゃない、僕は、前からさがしていたんだ」
 クラマールの家の室代は、パリの物価があがるにつれて、蜂谷が住むようになってからも二度あがった。今年の冬は、燃料が急にたかくなったからという理由で、十一月からあとは新しい価を請求されているのだそうだった。室代ばかりがかさんで、本が買えない。
「それに僕がわるい
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