K慣をつけちゃったんで、実はこのごろになってへこたれているわけもあるんです」
 年齢にあわせて、どこかかたまらないところのある蜂谷の顔の上に善良な苦笑があらわれた。
「あすこへ行った当座、退屈だったもんだから、つい土曜日なんかにうちの息子や娘をさそって映画を見に行ったりしたんでね、奴《やっこ》さんたち、映画と支那飯は僕におごられるものときめてしまって、昨今は僕としちゃ相当の負担になって来たしね」
 蜂谷の気質としてありそうなことであった。
「女学校へ行っている娘は、英語も少しはわかるし、あすこなら、きっとあなたもいられると思うな」
 伸子がだまっているのを不承知ととって、蜂谷は、
「僕は、でまかせで云っているんじゃない」
 眉をしかめたようにして見る表情で伸子を見て云った。
「あすこなら、僕が責任をもつ、――きめるでしょう?」
「――見もしないで?」
 音のないほほえみが伸子の口元をゆるめた。
 クラマールというところが、パリの中心からどのくらい遠いところに在るのかさえ伸子は知っていなかった。ヴェルサイユ門からクラマール行の郊外電車が出ている。それだけ、わかっている。そのヴェルサイユ門のところで、夏のころ、終電車をつかまえようとして走ってゆく蜂谷を、素子と伸子とで見ていたことがある。
「クラマールに住むと、時々、いつかのあなたみたいに、かけ出さなけりゃならないことになるんでしょう?」
 マダム・ラゴンデールを、稽古のためにひどく遠方まで来て貰うことになるのかもしれない。永年の暮しの習慣から伸子は、自分ひとりで出歩き、夜もひとりで帰るものとして、クラマールではあんまり遠いと感じたのだった。そんなにクラマールの遠さと、その不便とを感じながら、伸子の心には、蜂谷のすすめる室をことわる、はっきりした気持が湧かなかった。
 伸子と蜂谷良作のかけているカフェーから、サン・ミッシェルの歩道の並木の一本に貼られているセンセーショナルな黄色いビラが見えていた。フランス共産党代議士二名と、中央委員三十二名が誰にもはっきりしない理由で突然検挙された。それはきのうのことだった。「共産党を禁止しろ」「『リュマニテ』は労働者の敵だ!」「農工銀行は人民の金を盗んでいる!」「フランスを売る共産党と共産党代議士を裁判しろ!」その黄色いビラは、|火の十字架運動《クロア・ド・フウ》の署名だった。いつかの
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