オ多計代の鬱憤には、微妙なニュアンスがひそんでいた。社会医学という専門から津田博士がジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で暮しているように、万一泰造が、建築という専門から、同じところでああいう風に暮すとしたら、多計代はいまと同じ批評を、その生活に対してもつだろうか。
「民間人ていっても、たいしたものだ」
それを聴かないふりで薪のたいてある客室の煖炉の前で泰造は手帖を見ている。父と母との間に、くいちがった気持の流れがあることを伸子は感じるのだった。泰造がもっていない博士号のねうちや、いわゆる民間人が官僚機構にくいこんだとき、どういう工合にやれるものかという光景がジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ行った多計代の前に展開されたのだった。
どこか、いらいらした印象で、ジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]旅行が終ってから、佐々のみんなは、いそがしくなった。
太洋丸を解約しシベリア鉄道で日本へ帰ることが決定した。十月二十七日モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]発のシベリア鉄道で帰れば、ジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]から津田博士ともう一人、彼の門下生である若年の医博とも同道できる、そのことで多計代の決心がきまったのだった。
伸子は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいる素子にそのことを知らせるために、電報をうった。ペレールの家は十月二十四日、うちのものが出立すると同時に、持主にかえすことが通知された。どこかに住む場所をきめることが伸子にとって緊急の必要になって来た。
帰らない晩が数日つづいたことは、伸子とホテルとのいきさつを一層わるくした。その日伸子は、蜂谷良作のもっているアドレスの最後の一つとしてソルボンヌ大学附近の、昔からラテン区と云われている一廓に、部屋をみに行くことになっていた。旧い歩道のようにすりへった石の階段を蜂谷良作とつれだって五階までのぼりつめてその一室のドアをあけて内部を見たとき、伸子は身ぶるいした。街のほこりでよごれていつ拭かれたともわからないたった一つの窓から、うすぐもりのパリの日ざしがやっとさしている室内の壁は、ソルボンヌ大学の歴史とともに古びよごれていて、ラテン区でむしばまれたあまたの青春をかたるように、あらゆる壁のすき間に結核菌を繁殖させているようなところだった。その室には電燈がひ
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