慮する作品のこく[#「こく」に傍点]が、正に階級的実践のきびしい鍛錬をとおして、同志小林の作品に現れはじめたのであった。
 主題の把握から見ても「地区の人々」は「戦争と革命との新たな周期」である刻下の情勢とプロレタリアートの課題から扱われている。杉山氏は同志小林を高く評価しながら、これらの発展の具体的な点を理解することは出来なかったのである。

 同志貴司山治が『時事』に書いた文芸時評中にも、この作品を形象化の欠如という点からだけ批判し、「蟹工船」以後の発展、特に去年四月以後同志小林が行った本質的飛躍については触れていない。
 同志小林が最近十ヵ月間の実践によって理論家としてもどんな発展を遂げつつあったかは、最近プロレタリア文学運動の一部に現れた日和見主義との闘争に関して彼が発表した諸論策を読めば自ら明かである。レーニン的党派性に鍛えられることによって、同志小林は、複雑、矛盾するこの世の諸現象を根源に横たわる、社会的階級的相関関係において把握することを体得し、即ち真理をより正確にとらえ得るに到っていたのである。
 同志貴司山治は『改造』四月号の「人及び作家としての小林多喜二」で人間の「
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