はやってのけてしまったような感がある」そして同志から惜しまれるのも「作家としてよりは寧ろオルグとしてではなかったであろうか」と云っている。三月号『改造』にのった同志小林の小説「地区の人々」の読後、杉山氏はその作品を「下降的」なものと感じ、この感想を洩らしているのである。果して実際そうであろうか?

 成程「地区の人々」は終りになればなるほど小説としての具象性を描写の上に失っている。明らかにそれは一つのマイナスである。けれども、この「地区の人々」という小説は同志小林が初めてボルシェヴィク作家らしい著実さ、人絹的艷のぬけた真の気宇の堂々さで主題の中に腰を据え書きはじめたことを印象させ、その点で感動を与える作品であった。同志小林が作家としても一段深い発展に立っていることを感じさせた。ブルジョア文学批評家の間には、同志小林の「蟹工船」を作家的発展の頂上とすることがはやっているが、「地区の人々」は当時まだつよくのこっていたブルジョア・リアリズムの煩瑣な影響から脱し、統一されたボルシェヴィキ的世界観によって輝き出す独特の簡明さ、確信――ブルジョア作家が「芸の力」によって我ものにしようと甲斐なくも焦
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