ができるし、労働者・農民の闘いに観察者であるばかりでなく、協力者となり得ます。これが私たちの新しい可能性ではないでしょうか。例えば、私がこの数年間にこれまでかけなかった民主的テーマの長篇を書き通すことができるという歴史の可能性は、同時に同じ私がある時期には、執筆以外の様々の活動をしてゆける可能性です。一人の人間の様々の能力がその一生の間に全面的に社会活動の中に発揮され、又そうあることを自然な喜びと感じて生きるところに民主主義社会の人間像があります。
 九月二十五日頃から毎日新聞にもとのアメリカ駐日大使グルーの回想記がのりました。その中でグルーは一九三三年頃の満州事変にふれこういっています。日本人ほど自分をだますのがうまい国民はない、日本人は戦争が悪いとは思っていない、と。私はその記事を読んだ時涙が出る思いでした。あの頃日本にはプロレタリア文化団体があり、すべての団体は日本の侵略行為に反対していました。『働く婦人』が創刊された時、第一号のトップに満州事変に抗議する記事を書いたのは、わたしでした。『戦旗』がどんなに田中内閣の侵略的意図を批判していたでしょう。しかしグルーは、日本人[#「日本
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