をしています。まして今年は、働く人々の中から幾人かの新しい作家が生れて、我々の収穫は決して貧弱だとはいえませんでした。民主主義文学運動として必要なのは、批評活動が活溌にそれらの作品同士のもっている意味や連関性をつむぎ合せて、作品活動の全面をその多様さ、変化において民主主義文学の成果として示すことです。そのようにして綜合し整理し、価値を明らかにした批評は、昔のロシアでベリンスキーやチェルヌイシェフスキーの文芸評論が、解放運動の強力な一環として果した革命的役割を果すはずです。蔵原惟人の評論も、佐多、松田、壺井、宮本の小説も、新しく書き出した人々の作品も、すべての労作がその独特さと共にもっている民主的文学としての意味において組織的にとりあげられた時、私たち自身の心をつかまえてゆすぶるような古きものへの闘いの意気が感じられないでしょうか。こんにち若い執筆家として評論や小説をかいている人々は、終戦まで蔵原惟人の名を知らず、宮本、中野、壺井その他の人々の名さえ知らなかった、という例が少くないことを考慮すべきです。

 労働者に役立つ文学であるかそうでない文学であるかということは、その文学が日本の民
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