すためになくてはならないものです。この点では、新日本文学の業績はまだ十分といえないと思います。
 たとえ民主主義文学の基準に立っているにしろ、一作家、一作品の枠に止まって、その作品、その作家ばかりを細かくつっつきまわして、その作品、その作家が民主主義文学の全体の中で、どういう意味と価値をもった存在であるかということを読者に理解させてゆくことができなければ、やっぱり局所的であり、個人主義的な観念にしばられた文学感覚であるといえると思います。
 さっき横浜の方から宮本百合子の作品の話がでて、宮本百合子の作品は、多くの場面で話題になっているが、松田解子の作品については多く語られない、松田解子の文学の庶民的なよさは周囲の初歩的な文学愛好家のグループによい影響を与えているのにとの話がありました。この話は作家と作品と批評との関係にふれて面白いと思います。民主主義文学の批評の方法は、この話にあらわれているようなばらばらの点をつなぎ合せて民主主義革命に献身する大衆の共通な文化財、イデオロギー的武器とすることではないでしょうか。
 去年の大会でも云われた通り、それぞれの作家は、それぞれとしてかなりの仕事
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