主主義建設の過程にどんなプラスをもっているかいないかということで決定すると思います。文学は文学です。ビラではない。ポスターでもない。労働者の生活を描いたというだけで、またその作品を働く人が書いたからというだけで民主主義の文学であるということは云えないし、その階級にとって値打あるものとも云えません。文学の階級性というものについての以上のような自然発生的な考え方は、ここにいらっしゃる江口渙さんなどもよく御存知のように、日本のプロレタリア文学運動の初期、まだ無産者の文学と云われて宮嶋資夫その他が小説を書き出した頃の現象です。その後労働者といい、無産者という一般的な社会層の中に、プロレタリアとして歴史を推進させてゆく自覚ある労働者部隊の革命的な任務が、はっきりさせられると一緒にプロレタリア文学は、アナーキストの権力否定の文学とも違うし、貧窮文学でもないし、下村千秋のようなルンペン・プロレタリアートの文学とも違うことを知りました。
 労働者の役に立つ文学が単なる宣伝文学でも啓蒙小説でもないということは、真面目な読者自身がよく知っています。例えば一つのストライキを描いた作品が、文学として働く人の人
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