いている。雪の降りよう、作物の育ちよう、そこに生える雑草や虫の生活を眺めることは、そこで暮している人々の生活にある様々の風俗・習慣等の観察からのびて行った目なのである。
小説家としての藤村は明治三十八年(三十四歳の時)脱稿された「破戒」によって、立派な出発をした。「春」「家」「桜の実の熟する時」「新生」「嵐」、それらの間に「新片町より」「後の新片町より」「春を待ちつゝ」等の感想集をもち、十二巻の全集が既に上梓された。更に最近七年間の労作である長篇「夜明け前」は明治時代の文学の一つの記念塔として我々の前にある。
藤村の自然に対する愛着、自然から慰安も鼓舞も刺戟をも得ようとする態度は、これらの全著作を通じて、特に感想集に横溢していると思う。
この文章のはじめにふれたような幼年・少年時代の特別な境遇のために人に対して簡単に率直でない習慣がついたというばかりでもなく、父親であった人の性格をどこかうけついでいるらしくも思える藤村は、対人関係においては常に抑制したところのある人である。情熱がおりおり、この芸術家のそういう構えを打ちやぶった。それにもかかわらず藤村は、その破壊の跡を眺めるとき既
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