に、「行ひは必ず篤敬」という態度に自分をおいている。こういう性格の藤村が、その芭蕉研究において、芭蕉の芸術が所謂翁の枯淡さでは決してなくて、抑えに抑えた鬱々たるもの、抑えられたる中年の力の芸術であると看破っていることは、面白い。
従って、藤村の自然への愛着にも、この人間関係の間において少からず抑えに抑えたるもののはけどころ、或は逃げどころ、人間よりは気の楽な話し合いてとしての自然という要素がある。西欧文学の波にうごかされ、高らかにロマンティシズムの調を謳いつつ、藤村の詩がその第一詩集から形式・用語において過去の日本文学和文派の遺産の上に立っていたことは、自然に身をうちまかせる彼の情緒の本質がやはり自然への逃避の性質を多分にもっていたことを語って、尽きぬ感興を起させる。バイロンはイタリーの海で生命を終ったが、彼の生命の本質は彼のロマンティストとしての英雄の憧れ、自由への飛翔の間に終った。日本へ渡ったロマンティシズムの文芸思潮が、いかなる形で過去の日本文学の遺産ととけ合い、変質したかということの一つの実例として藤村の詩は見直される意味がある。
藤村が、近年次第に自然について教訓的にもの
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