を云いはじめていることは、私共の注意をひく。「樹木の言葉」などにも、はっきりそのことは感じられる。人生の幾波瀾を経て、困難多岐な社会生活を観察して今日に至った老芸術家が、自然に向かってもその青春時代のようにその花の色、濃い緑、枝もたわわな実の美しさだけに目をうばわれず、寧ろ、日夜を貫いて営まれている生命の流れ、その多様な変貌、永遠性などを感じるのは当然のことであろう。花の咲き乱れた樹より、冬枯れの梢の枝の美しさを愛し、そこに秘められている若さを鋭く感じる老境の敏感さは、私共にやはり同感されるものである。しかし、自然を教訓的に語るということには、やはり芸術家を戒心せしめる要素がある。
 若い日のゲーテは、あのように活々と瑞々しく自然を感覚的に詩化した。老年に到って、社会生活の溌剌たる摩擦が身辺から次第に遠ざかり、彼に対する敬意から、誰も彼の主観的な冥想を妨げ揺すぶることがなくなった時代、ゲーテの偉大な横溢性においてさえ、自然はその芸術の間に観念化されて表現されはじめている。
 ロマンティックに自然を見ることも、それが観念的であり、非現実であることは、自然が箴言的に眺められ語られる場合と同
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