の理解がロマンティック時代の解釈を脱しつつあった。
「千曲川のスケッチ」を単にその反映と見るだけでは不十分である。藤村は、生れつき周密、計画的である。詩から小説への過程を、画家における素描の勉強に等しい散文でのスケッチで鍛錬したことは、修業の方法の最も適当な道であったろう。明治のロマンティック時代の詩人の多くは後年の荒々しい自然主義の時代に散文家として立ち得なかった。藤村が日本におけるロマンティック時代の先達であって、しかもよく永く苦しい自然主義の時代を自己の文学的業績の集積によって押しとおし得た秘密は、案外にも、一つの小冊子である「千曲川のスケッチ」にこめられている作者の努力にかかっているのではないだろうか。
「千曲川のスケッチ」において、藤村は「雪の海」のような秀れた叙景をも試みているのであるが、この時代、藤村の自然の見かたは、どこまでも人間の日常生活との連関に発足している。抽象的な自然の観念で、憧れ、愁い、或はおどるこころの対象として天然の風景に身を投げかけることは、もうやめている。人間がそこで生れ、育ち、働き、老い、而して生涯を終る環境、地方風土としての自然をこまかく観察し、描
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