つつ、はっきり主体をあらわしている。「野路の梅」にも同じ傾きとして、浮薄な世間の毀誉褒貶《きよほうへん》を憤る心が沁み出ている。これは、『若菜集』によって、俄に盛名をあげた藤村がこれまでと異った身辺の事情・角度から人生の波の危くしのぎがたいのを感じた心の反映として深い興味を覚える。
 この境地から脱し、当時の文壇の騒々しさから脱しようとして、二十八歳の詩人藤村は「もっと自分を新鮮に、そして簡素にするところはないか」と求めた。信州|小諸《こもろ》「古城のほとり」なる小諸の塾の若い教師として藤村が赴任した内的な理由は、そこにあったと思える。
 都会の遽《あわただ》しさや早老を厭わしく思った時、藤村は心に山を描いた。幼心に髣髴《ほうふつ》とした山々を。故郷の山を。明治三十二年から三十三年までの一年に編まれた『落梅集』は、実に明らかにこの詩人が、歩み進んで来た成長の道、生活の路を語っている。
『若菜集』におけるあの婉《しな》やかな曲線的表現は、「常盤樹」に来て、非常に直線的な格調をもちはじめた。用語も、和文脈から漢詩の様式を思い浮ばせる形式に推移して来る。「常盤樹」にしろさらに「鼠をあわれむ」
前へ 次へ
全14ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング