って来る感じ、強烈な、盲目的な感じを、静かに分解し、解剖して、感じの起された原因を探ったり、批評したりすることはとうてい出来ないのである。
そういうことに出会うごとに彼女はどうしようにも仕方のない情けなさと、腹立たしさに心を掻き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77、300−13]《むし》られた。ちょうど、小さい子供が天気の落着かない夕方などには、よく理由の分らない焦躁と不安とに迫られて急に泣き出すことがある通りに、押えどころのない不愉快、陰気さに苦しめられる彼女は、泣き出さないまでも、惨《みじ》めな、暗い心持にならずにはいられなかった。非常な羨望をもって描いていた大人の世界の美くしい、立派な理想は、皆くだかれて、恐ろしい厭わしい事物に満ちた「うき世」が彼女の前に現われたのであった。
今まで何も知らずに打とけて、思うままを話し合っていた仲間にも、彼女は「気をつけなければならない」ことを見出し、崇拝しようとした人々は、その価値を減じてしまった。
そして、封じこめられた多くの「感じ」ばかりが次第次第に種類をまし、数をまし、互に縺《もつ》れ合い、絡まり合ってまるで手のつけられない混乱のうちに、彼女の活気や、無邪気さを、いつともなく毒して行ったのである。
彼女は、非常な失望に襲われた。
自分の周囲には一人の仲よしになるべき友達もいず、一人の尊敬すべき人もいないように思われる。
子供らしい、理性の親切な統御を失った一徹さで、まっしぐらに考えこむ彼女は、仕舞いには生きていたくなくなるほどの物足りなさと、寂寞とを感じずにはいられなかったのである。
太陽の照るうちは、それでもまぎれている彼女は、夜、特に月の大層美しいような晩には、その水のような光りの流れる部屋に坐りながら、何という慕わしさで、ついこの間まで続いていた「あの頃」を思い出したことであろう。
多勢の友達を囲りに坐らせて、キラキラと光るように綺麗な面白い話を、糸を繰り出すように後から後からと話していたときの、あんなにも楽しく仕合わせだった自分。
美くしい絵や、花床や、珠飾りを見ながら、心の中にいつの間にか滑りこんで来る仙女や、木魂や、虫達を相手に、果もない空想に耽っていた、あのときの夢のような心持。
自分がものを覚えるようになった日から続いていた幻の王国の領地で、或るときは杉の古木となり、或るときは小川となり、目に見えぬ綾の紅糸で、露にきせる寛衣を織る自由さえ持っていた自分は、今こうやって、悲しく辛い思いを独りでがまんして坐っている。
自分のすべての幸福と歓びは、皆もう二度と来ないあのときの思い出の中に眠っているのだろう。
彼女はあのときと、今とのこんなにも違う心持の間に、何の連絡も見出せなかった。
なぜ自分はこんなにも、辛い思いをしなければならないのだろう。
大人も、友達も、皆のんきに笑い、喋り、追いかけっこをして遊んでいるのに、たった独りぼっちの自分は、なぜこんなに淋しく、こんなにも悲しい目に会わなければならないのだろう……。
仕合わせや、楽しさは、皆、皆もうあの女王様や王様と一緒に、捕えられない彼方へ過ぎてしまった。あのときは、すぎてしまった……。もう仕方がない。感傷的な心持の頂上まで来る彼女は、魂のしんから泣吃逆《なきじゃく》りながら、真面目につきつめた心で死を思うのである。
強情や反抗は、すっかり憂鬱に形をかえ、意地も張りも忘れた彼女は、転換したくてもする方法を知らない心の不調和を感じる可哀そうな子供として、自分の死を想ったのである。
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昨夜眠ったまま、もう永久に口をきかず、眼も見開かない自分が、冷たい冷たい臥床《ふしど》の中に見出されるだろう。
[#ここで字下げ終わり]
彼女は、彼女の知っている限りの美くしい言葉で考える。
両親の驚きと、歎き。自分に不当な苦痛や罵詈を与えた者達は、最後まで正しかった者の死屍に対して、どんな悔恨に撃たれながら、頭を垂れるだろう、白い衣を着せられ、綺麗な花で飾った柩《ひつぎ》に納められた自分が、最後の愛情によって丁寧に葬られる様子が、まざまざと目前に浮み上って来て、涙は一層激しくこぼれる。
堪らなく悲しい。
けれども、そのときの悲しみ、涙は、もう生きているのが厭さに落す涙でもなければ、悲歎でもない。
不幸な若死をした自分を悼む涙であり、死なれた周囲に同情する悲しみである。
あれほど魂の安息所のようにも、麗わしい楽園のようにも思われた魅力は跡かたもなく消えて、今、死は明かに拒絶され、追放される。
「死ぬのはこわい」という恐怖が目覚めて、大いそぎで涙を拭く彼女は、激情の緩和された後の疲れた平穏さと、まだ何処にか遺っている苦しくない程度の憂鬱に浸って、優雅な蒼白い光りに包まれ
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