雇っている処では、なかなか母に余裕はありません。そこを巧に繰廻し、乳母車に載せて、公園の静かな小路に散歩させる時を、同時に自分の遊歩時間にあてる。又は、三時間目なら、三時間目の哺乳と哺乳との間を抜けて、自分でなければ分らない用事を果す為に外出する。一体、あちらでは、立ち上る位までになった子でない、ほんの嬰児は、多くの場合、彼等の小さい揺籃《クレードル》の中に臥されています。母親は傍に椅子を引寄せて、あやしながらでも、体は自由に仕事が出来ます。いつも母の膝に抱かれているような習慣はありません。そんな風では、子供の健康に悪いのは勿論母が家事どころか身の廻りさえきちんとする事が出来ませんでしょう。
 嬰児で、いつも凝《じ》っと床にいるような時代は、それでも、まだ母親の時間はあるようです。歩き出す、そろそろ外に独りででも出かけたがる。そう云う時代になると、愛情の深い母は、殆ど昼間一杯を、子供中心に過さなければならなくなるらしゅうございます。それでも、紐育のような大都市では、大抵処々にある公園の子供遊場を中心にして、児童に戸外遊戯をさせるので、母親は、転がろうが辷ろうが安全な砂場、芝原に子供を自
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