。寧ろ、そんなのは少数の例外で、多くは、良人は妻を扶け、妻は良人を扶けて相|偕《とも》に生活している、と云いましょう。英語に直訳すれば、まるで何だかよそよそしい、卑屈な響になって仕舞うが、日本の女性が良人を、「宅の主人」と呼ぶのは、決して、奴僕《ぬぼく》が雇主を指して云うような感情を持ってはいない。丁度、英語を喋る国の女が、自分の良人を第三者に対して話す時には、ミスター・誰々と姓を呼ぶ、それと共通な心理なのだと抗議を申し込むでしょう。
言語、習俗が著しく異った場合、斯様な誤謬は起り易い。而して結果としては、双方が見出すべき大なり小なりのよい発見を失って仕舞うのです。表面的の事象から先ず反撥心に支配されて、深い生活の内面、或はよりよい事実を見失うのは、どんなものに対しても、我々の執るべき態度ではあるまいと思わずにはいられないのです。
「日本人の理想に吻合しない西洋人の家庭生活」を読み終ってから、私の心に起ったものは、世の中は見様で何と云う相違があることだろう! と云う驚きでした。例としてあげられた人々、場合は、勿論ありますでしょう。まして、私の狭い見聞は、米国の、而も紐育《ニューヨーク
前へ
次へ
全37ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング