殺しなかったという行為の価値を、ただ、ロシアのツァーリズムの下における歴史の両面であって、どっちも等しく人間行為のねうちしかないものだと云って、承知する人があるだろうか。
無数の青年が無垢純一な心を、欺瞞によって刺戟激励され、欺瞞に立った目的のためにすてさせられた。そのことと、作家小林多喜二が、そのように無惨な特攻隊を考え出すような非人間な権力の重圧からインテリゲンツィアをこめる日本の全人民を解放しようとする運動に献身し、警察で殺されなければならなかったこととを、単に歴史の両面の現象と云い切る心には、慄然とさせるものがある。それは、殺した側から見れば、そうなのだろうから。殺した側とすれば、あれはああして殺し、これはこうして殺し、いずれも等しく単一な目的のためにした両様の処置にすぎなかったのだ。しかし、私たちは、徹底的に生きることを要求して生きつつあるものである。したがって、どう生きるかということ、その生のためにどう生を終ったかということについては、傍観的であり得ないし冷評に納ってもいられない。インテリゲンツィアにより目ざめた社会人としての誇りがあるならば、それは何だろう。俗見が当然な
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