かという関係も明瞭にされていない。日本や中国の新民主主義がすすまなければならない歴史の道の上には、封建性を排棄しようとするブルジョア民主主義の要求と、すでに帝国主義の段階にまで進んでいる資本主義的な社会悪を是正しようとする社会主義的な民主主義的方法の必要が、からまり合って、二重になって存在している。勤労階級がこの新民主主義の推進力であるけれども、一面に封建性と闘わなければならない事情におかれている日本のような社会では、インテリゲンツィア自身が、自身のインテリジェンスそのものを封建の型から解放するために、知性の近代的な確立のために、自分の我の成長発展のために、勤労階級と本当に協力して、二つ三つ、五つとより多く組合わされた肩の力で、過去の重圧を押しのけてゆかなければならないのである。
 こういう風にインテリゲンツィアと民主主義の関係を真面目に理解すれば、この頃平野謙氏が反覆して云っているような、小林多喜二の死と特攻隊員の死とは、単に一つ歴史の両面であり、等しく犬死にであるという論の非現実なことが分って来る。オブローモフは自殺しなかった。チェルヌイシェフスキーも自殺しなかった。この二様の、自
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