いと云う心持のある他方には、所謂先生に対して云えないことも云っても大丈夫と云う安心が暗黙のうちに在った。
熾んな求道慾と、人生の風情と云うものを、美しく調和させようとするところに、先生の人を導く的があったのではなかったろうか。
児童教育の理想を話される時など、人性の尊厳、微妙さの感歎、セコンド・ジェネレーションに対する健全な期待の心などが、流露した。先生の話を伺っているうちに、若いものは、生活を愛し、価値を高め、積極道に活きずに居られないような、光明、希望、勇気を与えられたのであった。
知識慾の燃える者は、その方向から、軟かな、当途のない情緒に満ちたものは、只漠然とした好もしさから、先生に接する程のものは、皆、先生を敬愛した。然し、なれ易いところはなかった。
今になって考えれば、理想主義的現実主義とでも云うべき先生の思想は至極穏健なものであった。
それでさえ、当時は、やや異端であったのだから、驚く。
先生の境遇は、感情的な偏見と、名誉慾に古びた女性の集団に挾まって、その時分も、かなり晴々しくないものがあったらしく思われる。
私にとって印象の深い、一插話がある。
丁度五
前へ
次へ
全9ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング