出したのであった。
生徒として、私は不規則な我まま者であったが、千葉先生の時間は、一度でもおろそかにしたことはなかった。この時間中だけ、平常妙に表面的に、形式的に扱われている人間と云うものが、真個に生き、意慾し、活動する生存とし、左右から見られ、切り下げられ、探究されるよろこばしさは、例えるに物がなかった。
心理学と云う学問そのものが珍しかったことは争えない。然し、千葉先生は、学問の講義のうちに、実に多くの暗示を含ませて人生と云うものを考えずにいられない刺戟を与えられたのである。
その時分から、私はまるで背低くであったので、級では一番前列に席がある。
右手の扉から、先生が軽い大股で、ノートを左手《ゆんで》に入って来、教壇に立たれる。私は、心をこめ、求道者が師を礼拝するような心持で頭を下げた。そして、次第に熱中し、興にのって、講義して行かれる心理学概論を筆記する。
先生の教授ぶりは、熱があり、インテレクチュアルで、真摯なものであった。
黒板に何か書いたチョークを、両手の指先に持ち、眉間に一つ大きな黒子のある、表情の重味ある顔を、心持右か左に傾けながら、何方《どっち》かと云うと
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