ことを作者は諷刺しようとしたのかも知れないということは分るけれども、例えば職業婦人がその性格を発揮するのは職場での仕事においてであると思う。モデルという職業婦人は現実の職場でも裸になるのではあるが、私はそのモデルでさえ、職業における個人の性格の閃く瞬間は、彼女が将に全身をあらわそうとする時にあると感じる。猪熊氏が画面の新奇なくみ合わせに自分から興じているように私には感じられたのであった。
 ところで、今度洋画を出品している婦人画家の作品を見て、私は、寧ろ予期しなかった印象を与えられた。
 材料的に見ても、生活の進歩性から見ても、ずっと自由であるべき油絵を描いている婦人画家の作品より、却って窮屈な条件にしばられている日本画の婦人画家の作品の或るものの方が、或る意味で活々とした感受性を働かし、社会の日常生活にもふれ、心をくばってそこから題材を見出して来ていることを感じたのは何故であろう。
 有馬さとえ氏その他、それぞれの力量を示す作品を出品しているのではあろうが、面白かったのは版画の長谷川多都子氏の作ぐらいであった。日本画では理解が皮相的な憾《うら》みはあるが「煙草売る店」青柳喜美子、「夕
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