帝展を観ての感想
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)憾《うら》み

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)描く[#「描く」に傍点]ということが
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 数年の間、私はいろいろのことから帝展というものを観ないで過して来た。今年久しぶりにほんの通りすぎる程度ではあったがそれぞれ数百点の日本画、洋画を見物し、素人らしい感想にみたされた。
 私が記憶していた頃の帝展では、日本画というと大作ぞろいで、一室の壁半分を一枚で占めるような大きい画が多かった。秀作も駄作も大きさで先ず観衆を瞠目せしめる風であった。今年は、それがいずれも余り大きい作品がなくなって来ている。大家連が筆頭で小品風なものを、小品風な筆致で描いて、その範囲での貫録を示すかのように新進の画家たちとは別にまとめて一室に飾られてある。
 私は絵として心を打たれるものを見出すことは出来なかったが、その絵の大小によって云わず語らずのうちに示された日本の大画家連の製作をも左右している世間の不景気の反映に興味を感じた。
 画商との微妙な連関で自分の画の市価というものが定り、その相
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