場が上ることで画家としての価値をきめられている清方、栖鳳、麥僊その他の日本画大家連は、この頃の経済的ゆきづまりで彼等の高価な絵を買う人が減っても絵の価を下げられず、従ってその標準ではける可能のある小さい作品にうつるところ、社会関係がなかなか活々と作用を及ぼしていると思ったのであった。
大体から云って、今日の生活感情を表現するものとして日本画が材料の上からも非常な困難に面していることがまざまざと感じられた。大家連が依然として芸者、舞妓、花、蛙などにとじこもっているに対し、題材として新しい方向を求め、例えば発電所・橋・市街鳥瞰図風の素材を扱った新人もあるが、結局それ等の題材は風景として理解されているに止っているし、日本画としての技術上からも、それ等の現実性を再現するだけ立体的には描けていない。
題材は何であろうと、今年の帝展の日本画の大部分は、私に、日本画が今では一つの工芸品的なものに変っていることをつよく印象づけた。
画家たちは殆ど一人のこらず、紙や絹の上に実にきれいにしかも出来るだけ厚く絵の具を盛り上げることに腐心している。近づいて画面を見ると、どれも蒔絵のように塗られていて、私
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