はこういうのをも尚描く[#「描く」に傍点]ということが出来るのであろうか、塗上げ術の問題はあるとしても描法の問題はここには消散してしまっている、そのように感じたのであった。
 日本画家たちの日常生活をも、つき動かしている社会的な不安を、これらの人々は現実の自身達の生活からは既にとび去っている日本画の美の伝統の範囲内で解決しようと不可能な焦慮をしている。その解決のない矛盾と焦慮とを平面的で濃厚な色彩で辛くも塗り圧えようとしている苦しさが画面から私の感情に迫って来たのであった。
 洋画の部でも、私は精神をつかまれたように感じて立ち止るような絵には出会うことが出来なかった。
 この洋画の部では、去年「老婆」を出品して一般の注意をひいた漫画家の池部鈞氏が今年は「落花」という小さい絵を出し、二列に並べたところの上の方に一寸かけられている。「落花」は私に或る感銘を与えた。眼も鼻もないように顔を真白けに塗った「唄わしてよ」の少女が首に手拭をむすび裾をはし折って花見の人が去った後の緋モーセンの床几の上へ一人、すねを並べて足袋をつき出しているところが描かれている。この小さい諷刺的な絵は、感覚的な効果をも
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