って日本の下層階級生活の貧困と猥雑さとその日暮しの感じとを、傍観的に、だが強く表現していたのである。
私は「落花」を見ているうちに、池部氏がこの社会的感情を更に一歩すすめてその中にある発展的なモメントをも表現しないのは、帝展という場所のためなのであろうか、または池部氏自身の世の中の観かたの限度がここに止っているか、そのどちらなのであろうかと興味を動かされた。
全く違った意味で印象にのこっている油絵がもう一つある。それは「ピアノの前」という題で一人の背広服の紳士と並んで訪問服の洋装夫人が腰かけている左手のソファーに、一人全裸体の女が横になっている大きな絵である。作者猪熊弦一郎氏はアトリエへ訪ねて来た雑誌記者に向ってその絵は「三人の異った人間の性格を描き分けようと云うのです。右の男は田舎の素封家の主人、真中はワイフ、左は職業婦人。この三人の気分がのっていますかね」と語りながらその絵と並んだ自身の写真を撮らせているのである。けれども、私にこの絵は必然性が疑われる絵として眼にのこった。
田舎素封家の漫画的鈍重さ、若い軽やかな妻の無内容な怠惰さ、そして職業婦人が或る皮肉をもって裸一貫である
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