つけられたという、驚くべき例もある。
知足院の隆光とやらいう怪僧がまんまと大御台様を始め大奥ぐるみけれんに掛けて非道の御布令を出させたのも、結句は隆光の計画である。見い、あの悪くさげな僧姿を、高麗あたりからの牒者《まわしもの》がこの大和国を乱しに来おったのではあるまいか、等という流言は至る処に喧《かま》びすしかった。中でも例年献上品の重きをなしてた鷹を止めたのみならず、猟師を殺生の業として禁ぜられたことなどは豊作の乏しい藩にとってはこの上も無い痛手である。
たとい密々に方便はあろうとも、畜生に代えて人の命を軽んずる禁令は上下の憤懣《ふんまん》を起さずにはおかない。
絢爛《けんらん》たる当代の文明に対しては、余りに暗澹《あんたん》たる怨嗟《えんさ》の声は、遠い僻鄙《へきひ》の地にも絶えなかったのである。が、藩公の力ではいかんとも為し難い常軌を逸した大偉力の前に、諸侯はただ戦々|恟々《きょうきょう》として、ひたすら平穏に一日の過ぎることを祈ってるばかりである。ところが、いつとは無し藩中には、津軽の虫の巣御吟味という風説が立ち始めた。
誰も出所を知る者はない。が、その噂取り沙汰は、知
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