煙《のろし》が、南部三馬屋から仄かに立ち昇る。
 美くしい火の応答が、燦《きら》めく海を隔てて取り交わされる間に、一行は威儀堂々と、上の奥の城へその長い行列を大々しく繰り込むのである。
 かようにして、御帰城になる殿様と奥に戻って来る江戸の風聞は、留守居の者共に絶大の期待を与えているのは、言わずもがなのことである。
 直接国政とは何の関係も無いいわゆる「女子供」は勿論、正直に言わすれば若士の大多数にとっても、当時彼等の憧憬の的である江戸の土産は、重大な価値を持っている。
 まして世は、繁栄はこれが頂上で有ろうという元禄である。
 俄に勃興した江戸歌舞伎の、心を嗾《そそ》る団十郎の妙技、水木辰之助の鎗踊、それに加えてさらに好事家の歎賞を恣《ほしいまま》にする師宣の一枚絵は、たとい辺土とは言いながら、津軽の藩中にもその崇拝者を持っている。
 良人の留守を守って、心怠りの無かった女達が、私に与えられる南蛮渡りの象牙、珊瑚《さんご》珠、天鵞絨《ビロード》の小帯を、仄暗い燈台の陰で人知れず眺める喜びと、一蝶の戯書《ざれがき》を同好の士に誇る老臣の喜悦とは、その間に必しも大小はない。
 当座は、身
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