館にして見る気にならない長崎人の心持も、私は興味を以て感じた。ざっと見ただけだが、その気分を、集成館によって代表された薩摩人の気質と比べると感興深い。薩摩の人々は、シャヴィエル渡来当時から、一貫した自己の生活意識、価値批判とでもいうべきものを持して、或る点理智的に海外文化を、古来の伝統と対立させていた。持ち前の進取の気風で、君主がローマ綴で日記をつけ、ギヤマン細工を造り、和蘭《オランダ》式大熔鉱炉を築き、日本最初のメリヤス工場を試設したが、その動機には、外国の開化を輸入して我日本を啓蒙しようとする、明かな受用の意志が在る。長崎の人々が南蛮、明の文化に接した工合は全然違う。薩摩人が或る距離を置いてそこに視たものを、長崎港の住人は体中に浴びた。水と一緒に腹の中に飲んだ。薩摩人にとって知識としてのみ存したものが此方では日常生活の中に血に混じて流れるものとなり、箇人の感情や気質の一部をなすに迄融合してしまったのではあるまいか。私共は自分の背中を、あることは明に知っているが、他人の容貌ほど対象として意識し難いように、長崎の穏やかな市民は、第三者が当然爾あるべしと予想するだけ充分史価を客観し難いの
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