を目標として、工夫を凝すなら凝したい。
茶道の名人達は、その感情を深く味到したのだろう。悲しい事に、今日東京に住む私共は、全然野生に放置された自然か、或は厭味にこねくられた庭か、而も前者はごく稀れにしか見られないと云う不運にあるのだ。
ジョージ・ギッシングは、非常に困難な一生を送り、芸術家としても決して華やかな生涯は経験しなかった人らしいが、彼の作物のあるものの裡には、殆ど東洋的な静謐さ、敏感な内気な愛が漲っている。四季に分けて書かれたヘンリー・ライクロフトの私記と云う随筆集の中に、彼の庭園についての好みを書いてあるところがある。彼の心持が私には自分のもののように思えた。
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「庭掘りに来た善良な男は、私の特殊な好みの理由を明かにするに迷った。私は、自分の向ける彼の眼の中に、怪しみ考えに沈んで居るらしい表情があるのを屡認めた。理由は他でもない、私は普通あり来りな花壇を彼に作らせず、家の前の僅な地面だけを実にあっさり、装飾的に手入れさせたからである。
最初、彼は其を私がしわいからだと解したらしい。けれども、今では其が説明にならないのを知った。彼にはどうしても
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