い花だことない、こんな花は日本で咲きますか」
繰返し繰返し名を訊き、飽かず眺めた。祖母は一体に風流心のない人であった。部屋でも、塵なく片づいてさえおれば堪能しているのに、この時三輪の花に示した優しさは、前例ないことであった。祖母は御愛素でなくその華々しい薄桃色の草花を愛した。後で、種々枕元に飾ったがどれもそのカアネーション程は気に入らなかった。そして、不満そうに、
「あのお友達の下すった花はよかったなあ」
と呟いた。
四五日退屈な日が過た。医者は、段々祖母の食慾不振を不安がり始めた。生活力が洩れる水のように、絶えず目立たず、然し恐ろしい粘り強さで減退し始めた。一昨年の大震災当時祖母は過度な苦労をした。実の娘と孫とを失った。以来、衰えが目についた。病気そのものはもう癒ったのに、恢復する力が足りないのだ。祖母自身、生きたがらない。うっとりと死にたがっている。そういう病人を見ているのは不思議であった。激しい病と戦う若者を看護するような意気込みが無い。何でも活かそうという熱が湧かない。「どうだろう、」――漠然とした恐怖のない心配があるだけだ。
或る日、私は看護婦の入浴の間、祖母の傍にいた
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