た。先ず本ものの謡がきかされてよかった。
 腸の方は、少しずつよい方に向い、祖母は甘酒を頻りに啜った。食慾は余りつかない。そのうちに父が九州まで出張しなければならなくなった。用事は彼を待っているが気が進まず、やっと、医師の保証で出立した。出立の夕方父は、隠居所に行った。
「一寸用で国府津まで行くと申上て来たからその積りでいてくれ。遠くだと落胆なさるといけないから」
「そうお、私困ったわ、父様が九州へいらっしゃると云ってしまってよ、もう」
「変だね、始めて聞くように云っていらしったよ」
「じゃあお忘れになったのよ、却ってよかったわ」
 父の旅行先には、毎日夕刻「ハハカワリナシ」と電報を打った。祖母は、父の多忙のため、幾日も顔を見ないことに馴れていた。旅行については何もきかず、蜜柑の汁、すっぽんのスープ、牛乳、鶏卵などを僅に飲みながら、朝になり夜になる日の光を障子越しに眺めている。口を利くのは、まだ起きてはいけないかという質問と、何故こんな病気になったろうという述懐の時だけである。私の友達が綺麗なカアネーションを持って見舞に来てくれた時、祖母は始めて、病気を訴える以外に口を利いた。
「美し
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