力のない病人は、音楽などをいやがるようだと話した。祖母が、蓄音器を聴こうというのは、よい徴候だ、大丈夫だと、私は嬉しく思ったのであった。
翌日、祖母は鉢の木や隅田川など、満足した顔付で聴いた。傍で、把手《ハンドル》を廻しながら彼女の楽しむ様子を眺め、私はレコードを買って来てよいことをしたと思った。昔から祖母は謡曲好きなのに、近頃若い者達の買いためるレコードは、皆西洋音楽のものであった。それらもすきでききはしたが、時々思いついたように、謡のは無いかと云い出した。田舎に出かける数日前の夜も祖母は私にそれを云い出した。私は、彼方此方捜して見た。長唄はあるが謡は無い。祖母はもう聴かれるものと思い、わざわざ椅子の上に坐って待ちかまえている。私は、素気なくありませんと云えなくなった。仕方なく、度胸を据えて、長唄の石橋をかけた。祖母は、それとは知らず、掛声諸共鼓が鳴り出すと、きっちり両手を膝につっかい、丸まった背を引のばすようにして気張った。その姿は、滑稽でもあり、また気の毒至極であった。実際聴きわける耳もないのに謡と思うとああいう風に気を張るのかと思うと、暗い一念、という印象が強く私に遺されてい
前へ
次へ
全17ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング