祖母はずっと田舎暮しで、そこの家の本のあるところが、実に夏休みの間の探険場所であった。この祖母は、筆の先をなめて、あぶら一しょ、と書くひとであったから、読む人のなくなった本は薄暗い三畳の戸棚の中やしめ切った客間の裏の板の間におしこんであった。こっちの本には、いろいろな珍しい英語の本があった。西洋の地獄の插画のついたのがあったり、何か機械の図解のついたのがあったり、詩集があったりした。文学の本は少くて、政治や経済の明治初期の本があった。父方の関心はそういうところにあったと思える。西洋の地獄の插画のある本や詩集などは、省吾さんという叔父のもので、そのひとはホーリネスの信者で、支那やアメリカを旅行して日本へかえると間もなく死んだ。
女学校では、勉強の方法、本の使いかたというようなことをちっとも教えない。それ故本を活々とした人間の努力の集積、それを最善につかって有益な結果をひき出す筈のものというような考えかたは、私としては随分後まで身につけなかった。
並べて見ているだけでよろこばしい亢奮を覚えるというような工合で、国民文庫刊行会で出版した泰西名著文庫をよみ、同じ第二回の分でジャン・クリスト
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