フなども読んだ。手のひらと眼玉がそれらの本に吸いつくという感じで、全心を傾倒した。
 五十銭銀貨を何枚かもって、電車にのって神田へ本を買いにゆく。本を買いにゆく。それは全く感動に堪えない一つの行事であった。今でも本を買う特別な親愛の心はやはり微かな亢奮をふくんでいて独特な味いである。
 今十六七歳の少女は、どんな心持で本というものを見て感じているのだろうか。この間もある大きな新刊書を売る店で、その疑いをもった。セイラー服の少女が三四人で本を見ているのだが、その眼にも口元にも何の感興も動いていず、つよい好奇心のかげさえない。あの棚でちょっと一冊、この台でバラバラ、又あの台でバラバラ。そして流眄で本の題を見て小声で云って見たりしている。百貨店であっちのショウ・ケース、こっちのショウ・ケースと次々のぞく。そのように見ている。
 本への愛というようなことは、言葉に出してしまうと誇張された響をもつが、やはり人間の真面目な知慧への愛と尊敬、文化への良心とつながったものであると思う。若々しい知識欲が何か求めて本気で本を見る眼差しは、ただ商品を視線で撫でてすぎるのとはちがう、おのずからなはた目の快さを
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