うことは何という大事業でしょう。新しくありそして生長するということは――。新しくなる道を捜して、崩れてゆく過程は、文学でもはっきり現われています。ブルジョア・リアリズムの限界を感じて、しかも民主主義的な人民の文学の発生に対して自分を合流させなかった作家たちが、高見順からはじまって坂口安吾まで、椎名麟三まで、流れ崩れて、漂っています。芸術の分野で多くの要素を占めている小市民的な階層の作家たちの心情は、進歩的な人はつねに古いものの圧力と戦う意識をもっているけれども、戦いかたにおいて大変主観的であるということは、文学も美術も共通でしょう。
あの展覧会にあった赤松俊子さんの二つの大きな絵は、その努力と、新しいものと古いものとの歴史的な一種の錯覚の痙攣がみられました。新しくなることのために、どれほど、平凡で分りきったような現実追求がされなければならないかということを飛躍して、画家の主観的な気分の昂揚の中で「新しい」ものを生もうとする苦悩がありました。
このあいだ赤松さんにお会いしたら、私が深い疑問に感じたこの点を、自分ではっきり把えておられたので、うれしく思いました。しばらく健康を恢復させな
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