いうことを深く思い返させました。昔の矢部さんの絵は、色調において暗かったし、テーマもパセティックであって、奇麗な絵ではなかったかも知れませんけれども、私の心には今日なお刻まれている画面もあります。人生の現実、社会の歴史の現われ方がパセティックなものにばかり焦点を見るということは、一つのセンチメンタリズムであって、芸術家の広い視野と感受性とは、その反対の寛ろぎや、平安や、歓びを芸術の美として映し出すことは当然です。でも、現実会というその会の名をまじめに考えたとき、私は正直に言って、十人が十人似たような絵を似たような彩りゆたかさで、安易なテーマで描いていることについて不安を感じました。現実というものは、個々において、もっと多様です。リアリズムというものは、何かもう少し違った、動いているもの、遊んでいないもの、突っこんだものだと思います。過去十数年の日本人のおかれた生活があんまり暗かったから、それに対する抗議が、ああいう色彩や空虚なような明るさまで主張されたのでしょうか。おそらく現実会の方々自身が、この問題の本質的な発展のために、まじめに考えていらっしゃることと思います。

 新しくなるとい
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