ことが、しみじみわかります。しかし、文学の方でもそうなのですが、その熱心と探究とは、まだほんとうに新しい芸術の水脈にあたっていないような、つまり摸索の形で、追求が受けとられました。
 ですから、技術的な細かいことのわからない私たちには、追求のさまざまな現われが、疑問として自分の心に残されました。疑問を掻きたてたところにあの展覧会の前進してゆく可能が隠されていたと思います。例えば、現実会のグループの方々の絵は、お互同士が大変よく似た色の感覚で、また素材へ向ってゆく角度にも大変似たものがあるように思いました。ずいぶん色の賑やかな、その賑やかさにおいて不思議な類似をもった絵が多くて、そのなかでは一人一人の画家のテンペラメントというものも弱く表われていたし、現実の受けとり方も、個性が、或いは生活が平均化されていました。
 もと「ヤップ」におられたころ幾つかの絵でおなじみの矢部友衛さん、岡本唐貴さん、寺島貞志さんその他の方々が、現実会の会員として、あの展覧会に出されていた作品は、あの頃と今日と十数年の間に、日本のすべての芸術家が人生の現実と芸術上のリアリズムの問題とでどんなにひどい目に遇ったかと
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