人間虐使の残像がある。戦争の永年、軍隊の指導部員としての生活をして来て、軍規の野蛮さ、絶対命令に対するはかない抵抗としての兵士たちの仮病を見破りつづけて来た人々。死ぬものを「一丁あがり」と看守がいうような牢獄生活をつづけて来た人々。そういう不幸な痕跡をもった人々がきょうの情勢を主観的にせきたって判断すれば、病気だといっても、何だその位という気風もおこるだろう。外へも出られないというのが本当ならどうして小説が書けている、と特高の論法になるかもしれない。
 わたしにどんな一つの特権があるのではない。わたしはわたしとして基本的な人間の権利を明らかにしているだけである。むごさという感覚をとりおとした人間消耗の気風には承服しないでいるのである。
 病気は病気であるという事実にたって処理しながら、わたしが仕事を中絶しないのは、階級的な「作家の資格において」民主革命の課題は文学の仕事そのものによってどうこたえられてゆくものか、革命を人間の事業としてどのように肉づけ得るかという一つの実例を発見したいと思っているからである。書きたいものと、書かなければならないものと(「書かなければならない[#「書かなけ
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