な場面にあっても、階級的な文学をつくろうとするものとして統一された精神の流れを分裂させないでやってゆけるようにならなければならない。わたしは、その日の話の後半でそういう問題にふれた。平野氏は、その点から話しをおこしている。わたしの云っていることは正論である。しかし、職場の若い文学者たちに向って正論をとく本人は、作品をかくために、「できるだけいろんな機関の役員も止め、会合や座談会にも出ないようにしている、ときいている」「ほかならぬ宮本百合子だから、党も一種の例外として黙認しているのではないかと考えられる。」そういう特権の「立場にある宮本さんが」正論を云いきって、「いささかのうしろめたさも覚えぬらしい態度に、実は私はあきたらぬものであります」と云われている。熱田五郎氏の感想がひかれて、若い人たちは、「自己一身のうちに労働者的な集団生活と小市民的な個人生活との二重性をはっきりみとめ」「党生活と私生活との二重性の」「統一を一作家の資格においてなしとげたいと希っている。」その当然の希望は、政治生活を作家生活にきりかえている特権者であるわたしの「きまりきった」「一人の文学者としてではなく、いわば組
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