情にとっては「有閑に楽しむ」ことと「堕落を恐れない」こととは自然に結びついている。過去の恋愛だの結婚についての辛辣な罵倒はなぜ彼女たちにとって心よいかといえば、第一目前にそんな美しい恋愛だの結婚だの家庭生活だのがないことを知りぬいてそのことを悲しく思う心を、ふてくされて、居直ってしまっているから。それは親や兄の云いなりに否応なし形ばかり「神聖」な性的生活の、本質には同じような堕落に突き入れられるくらいなら、女も男と同じ感情で、自分から選んだ堕落の道に進む方がまだ痛快なだけましだとする点にあるだろう。
ところがこの感情の自主的ということにやはり一つの疑問がある。坂口氏のデカダンス世界観の中では、女というものは唯男に対する性器的な存在だけであって、人間としてまた社会生活者としてもっている他の種々の条件や問題は存在しないとされている。もしかりに自主的な堕落の辛辣さを心から感じようとするなら、彼女はこの点で非常に迷惑な堕落論者の独断にぶつかるだろうと思う。何故なら、少くともその女性は人間としての自主的な選択、自主的な好みによって堕落の道をえらび、性的にも結ばれて行こうとしているのだろうのに。
前へ
次へ
全30ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング