まるということもしにくかったものと思う。いつまでも御免なさいと云わなかったら、じゃあ、お母さまと百合ちゃんと、どっちが間違っているか、わかるまで二人で坐って考えよう、と云って、多分お昼だったのだろうと思うが、一度御飯をずうっとのばして、二人で向い合って坐っていたことがあった。
おしまいには、どっちが自分の間違いを発見したのだったか、覚えてもいない。それがどういうことだったかも思い出さない。けれども、そう云われて坐っていたということばかりは、よくよくおなかが空きでもしたと見えて、今もはっきり覚えている。
家の日々の空気が作用する
そんな思い出の一方には又こんなこともある。
小学校へ入って程なく音楽がすきだからというのでピアノを習いはじめた。うちにはベビイ・オルガン一台あるきりで其で教則本をあげた。そしたら先生がピアノを買った方がいいだろうというすすめで、一台中古を見つけてくれた。或る晩、九つの私は父につれられて本郷の切通しだったか坂の中途にある薄暗いその楽器屋へピアノを見に行った。いく台も並んである間にはさまって、その黒いピアノは大したものにも見えなかったので何
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