暮す心持になっている不幸な人々、そういう犠牲の姿は、多くの場合後から来る若い女のひとたちに漠然とした恐怖をおこさせる。そのことも肯けると思う。何故あのひとたちの生活はあすこに陥ったのだろうかという一節を辿りつめてそこに女を殺している女らしさを見出し、それへの自分の新しい態度をきめて行こうとするよりは、多くの場合ずっと手前のところで止ってしまうと思う。ああはなりたくないと思う、そこまでの智慧にたよって、自分をどう導いてゆくかといえば、自分の娘の代になっても社会事情としては何の変化も起り得ないありきたりの女らしさに、やや自嘲を含んだ眼元の表情で身をおちつけるのである。
この点での現代の若い女のひとの自嘲的な賢さというものを、それらの人たちは何と見ているだろう。もっともわるい意味での女らしさの一つであって、外面のどんな近代様式にかかわらず、そのような生きるポーズは昔の時代の女が生きた低さより自覚を伴っているだけに本質はさらに低いものであるということを率直に認め、それを悲しむ真の女の心をもっているであろうか。われから作っている女らしさの故に女の本心を失っている女たちという逆説も今日の現実では
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