んだ。口笛を鳴らす気にもなれないほど、四辺の景色は静かで、夢のようである。さよは、草履の足元にまるで気をつけず、光の裡を泳ぐようにして歩きながら、頻りに一つことを思った。彼女の心は、山岡が面白そうに幾度も繰り返して云った以心伝心という言葉のまわりを、丹念に廻っているのであった。
 全くそう云われて見ると、自分達の生活にはそんなことが少くない。さよは、つい先日のオゥトミイルのことを思い出した。あのことのみならず、日常のこまごました用件は大抵のとき、二言三言の受け渡しですぐ片づけられている。その二言三言も、言葉としては決して完全なものでない。ほんの心持を仄めかすだけの役目しかつとめないのだが、何方かでそれこそ「工合よく」補充し、直覚したことは大した行違いもなく運ばれて来ているのだ。――さよは、考えていくと、今日といい明日という太陽が、互に交錯し反響し調和しつつ流れて行く二つの心の河の上に、出たり沈んだりするように思われた。自分達の生活の実体が、一緒に食事をしたり、散歩したり、眠ったりする形象のもう一重奥に在るらしい神秘的な心持にさえなる。彼女は、まるで言葉というものがなくなった時の自分達は
前へ 次へ
全38ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング