認することは、彼女として堪らなかった。彼女は、自分に当然この戦いが起るのを知りながら、彼によって目醒まされたばかりの新鮮な、感じ易い本能を先ず誘おうとする保夫の無慈悲さに、憎しみさえ感じた。
 彼女の裡で、再び野蛮人があばれだした。さよは心の中で呻いた。「死んじまえ! 死んじまえ! 意地わる。貴方はどこまで私を苦しめるか」……
 暗く瞳を燃して良人の横顔を見据えていたさよは、ふと、彼が、何ともいえず陰鬱な陰を頬に浮べたのを見とがめた。彼女の神経に、きらりと或るものが閃いた。さよは、引つりとも薄笑いともつかない歪みを口辺に漂わせながら、のろのろ低声で保夫に尋ねた。
「何を思っていらっしゃるの。――同じこと? 私と同じこと?」
 愕然としたように、保夫が眼を大きくして、さよの顔を視た。
「――馬鹿!」
 彼は四辺の静寂な光を乱して、はげしく座布団の上に座りなおした。さよは、掌一杯冷汗を掻いた。彼女は、動悸が苦しく強く搏って、口をつむんでいられないようになった。「彼も同じことを思っていたのか。――そうでなくてどうしてあの意味深い馬鹿! が出よう。……自分達二人が一どきに、一緒に思えることは…
前へ 次へ
全38ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング