…互に――」
 さよは、座に堪えなくなった。彼女は立って縁側に出た。外も暗い。心の中の通り暗い。彼女の前には、はびこったねばりづよい薄闇に、こんもり幾重にも茂り合った常磐木の樹立と、片よって一本、細い電柱があった。縁側に近い八つ手の滑らかな葉末が、部屋から溢れる赤みがかった光線で陰気に一部分照されている。上に、電柱が、斜に空間を貫き、これも光の工合と見え、片側ばかり異様に白っぽく気味わるい生き物のように抽《ぬき》んでている。
 さよは、ひやひやになった指先で、幾度も無意識に自分の額を擦った。「この夜の裡にばかりもう百年も棲んでいるようだ」彼女は思った。「この永い、重い、苦しい夜は本当に明日あけるのだろうか……」
 さよは、清らかな明るい朝が、堪らず恋しくなった。黎明の微風の爽やかさ、戦ぐ樹や草のあのよい薫り。だんだん明るくすき透り、森や家や道傍の石粒まで燦めかせて昇って来る太陽の涼しいぱさぱさしたあつさ。――然し、さよは、それ等の晴やかな、歓びに満ちた心の朝あけを、どこか、もう二度と見出されないところへ、とり落して来たような、暗い暗い恐怖に捕えられた。



底本:「宮本百合子全集 第
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